自立するために依存先を増やす。希望のために他者と絶望を分かち合う。
わたしは、一人で何でも解決しようとしがちです。
でも、今日ツイッターで見つけたこの記事↓を読んで、目から鱗が落ちました。
一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。
(中略)
実は膨大なものに依存しているのに、「私は何にも依存していない」と感じられる状態こそが、“自立”といわれる状態なのだろうと思います。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。
何でも一人でどうにかしようとするわたしは、全然自立できていなかったんだと気付かされて、衝撃を受けました。
自立」と「依存」という言葉の関係によく似ていますが、「希望」の反対語は「絶望」ではないと思います。絶望を分かち合うことができた先に、希望があるんです。
(中略)
さまざまな絶望体験を互いに話し、共有することで、「もう何があっても大丈夫だ」っていう、不思議な勇気というか希望のようなものが生まれる。話や思いを共有できたからといって、実際には問題は何も解決していないのだけど、それで得られる心の変化はとても大きいんです。
わたしはいつも一人で絶望を抱えて、誰かと絶望を分かち合うことが出来なかったから、希望を見いだすことも出来なかったのかもしれません。
たった一人で抱えてきたことを他人に話し、分かち合うことができるようになって、「もう大丈夫」と思えるようになったことは、私にとってとても大きかったですね。絶望が、深ければ深いほど、それを共有できたときに生まれる希望は力強いんですよ。
今のわたしは、自分一人で抱えてきた絶望を誰かと共有する必要があるのかもしれません。そういう時期に差し掛かってきているのだと思います。
絶望している自分が情けなくて、かっこ悪くて、今まで誰にも言えなかったのですが、もう一人で抱えているのも限界になってきた気がします。
わたしには会いたいと思う人がたくさんいるし、連絡してきてくれる人もいます。わたしが話をしたいと言ったらちゃんと聞いてくれる人もいます。このことも、最近になってやっと分かりました。
今までは自分から心を閉ざして、勝手に「わたしは一人だ。」と思い込んでいたんです。「自立」ではなく、「孤立」していたんですね。
まだとても怖いのですが、これから少しずつ「自分の心の問題を他人と共有する」ということをやっていこうかなと思います。
「ブログに書く」ということも他人と共有することになりますね。
最近の記事は、当初の「幸せな気持ちの記録」というコンセプトからはずれてしまっているのですが、こういう文章を書くことはわたしの心の整理にもなるので書き続けようと思います。
なんだかこのブログは、わたしの生き様が色濃く反映されてきていますね…。笑
あ、でも、元気になったらちゃんと今までみたいに幸せな記事も更新していく予定です。明日は超絶お楽しみなことがあるので、結構幸せな内容の記事を書けるんじゃないかな…?どうかな…?書けるといいな…。笑
もっともっと幸せを感じて生きていきたいので、頑張りすぎずに頑張ります。
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