我慢の気持ちを溜め込まない。
今週は、心が絶不調でした。
わたしはいつも、「引き寄せ」だとか「自分の思考が大事」だとか分かったようなことを言っていますが、まだまだ真に身に付いているという訳ではありません。
それが嫌になる時だってあります。
わたしには、定期的に「何もしたくない期」が訪れます。
明確なキッカケがある訳ではないのですが、自分の心がちょっとずつ曇っていくのを感じて、でもその曇りを自分ではどうすることもできなくて、ある時ぷつんと糸が切れたかのように何もする気が起きなくなります。
この時期には、「幸せは自分から感じる」とか、「自分の思考が現実を創る」とかいう言葉も聞きたくなくなります。心が受け付けないのです。
一旦こうなると、たとえ数日の間であっても結構辛いです。
しかし、今回の「何もしたくない期」では、自分がそうなってしまう原因が少し分かったような気がします。
「何もしたくなくなる」ということは、それまで何かを「自分がキャパオーバーになるまでやり過ぎてしまっている」ということです。
わたしの場合は多分、その何かが「日常の中のちょっとした我慢」なのだと思います。
我慢を積み重ねるということは、コップ(心)の中に一滴ずつ水を溜めていくようなもので、それが満杯まで溜まってしまったから水(我慢していた気持ち)が溢れてしまっているのだと思います。
そして、一旦溢れてしまったら、そのコップが空っぽになるまで水を出し切らないと、また水を溜めていける状態(普段の自分)にまで戻らないのです。
コップが空っぽになったとしても、日常生活の中で少しずつ我慢をする癖は治らないから、またどんどん水は溜まっていって、溢れてしまう。
わたしは、これを周期的に繰り返しているのだと思います。
自分の心をキャパオーバーさせないためには、もっと日常生活の中で
「自分はどんなことを我慢しているのか?」
「自分は本当はどうしたいと思っているのか?」
ということについて理解する必要があります。
そして、何を我慢しているのかが分かったら、その「我慢している」という気持ちをきちんと認めた上で、上手く自分の外に逃がしてあげなければいけません。
わたしは多分、その我慢している気持ちを無視してしまっているのだと思います。自分の中で無かったことにしているのです。
でも、本当は無かったことになんてならないから、その無視してしまった我慢の気持ちはどんどん溜まっていってしまう。
それを上から覆い隠すように何かいい気分になれることをしたとしても、溜まったままの我慢の気持ちがなくなることはないのです。
そうではなくて、
「あ!今自分、我慢しちゃってるなぁ。そうかそうか、我慢させちゃってるんだね。ごめんね」
と、自分の中の我慢の気持ちを認めて受け入れてあげて、その上で
「よし、じゃあこれだけ我慢させちゃったから、今度はやりたいことやっちゃおう!」
という風に、発散させてあげる必要があるのだと思います。
我慢の気持ちを覆い隠すのではなくて、認めて味わった上で、別の楽しい感情と共に外に逃がしてあげるのです。
こういうことを疎かにしていると、きっとまた同じことの繰り返しになってしまうのだと思います。
数日間ずっと嫌な気分でいたら、今日はわたしの部屋に何年か振りのイニシャルGが現れました。
わたしは、彼等の名前を言えない・聞けない、名前の文字列や姿を直視できない、対策法について調べたくても彼等の名前や画像がたくさん出てくるのが怖すぎて調べることができない…というくらいに筋金入りのG嫌いです。
半泣きになりながら格闘しました。
でも、おかげで「嫌な気分は、本当に嫌な現実を引き寄せるんだなぁ…」ということが身に染みて分かりました。笑
もうこんな風に、自分の溢れる感情に振り回されて、心が疲弊してしまうのはこりごりです…。イニシャルGまで引き寄せちゃいましたし…。泣
これからは、少しずつ自分の中の我慢の気持ちと上手く付き合っていけるようになろうと思います。